神経科学の権威で自閉症が専門のAlysson Muotri教授によると、自閉症スペクトラム障害(ASD)に対する理解や治療法の開発は、信頼性の低い動物モデルが原因で遅れており、「シャーレ内のヒト疾患(human-disease-in-a-dish)」等の最先端の研究技術への代替により恩恵を受ける分野である。
ASD は世界的にみても重大な健康問題であり、近年では、実験室において遺伝子組み換えマウス等の動物で人工的に症状を作り出して実施する研究が盛んであり、40年以上もの間研究が行われ続けてきた。それにもかかわらず、有効な治療法は発見されていない。「Biological Psychiatry」 という学術誌に掲載された論文において、Muotri 教授は、患者の組織の遺伝子情報の解読や人間の脳細胞培養の高度な技術等、近年の21世紀の技術開発が、より適切なヒトモデルによってASDの基礎病理を解明する絶好の機会を作り出すと説明している。
Muotri教授は次のように述べている。「自閉症は多因子性のヒトの状態で、意義のある精度でマウスやサル等でこれを再現することは非常に困難である。自閉症の解明の進展を加速するために、今まで実施されてきたこの障害の研究方法からパラダイムを転換する時がきており、21世紀のヒト生物学を基盤としたモデルやツールに投資しなければならない。」
「動物を用いた研究では、ただでさえ遺伝的多様性のある疾患を、病態生理学上や医薬品に対する反応にあらわれる種特有の差異に加え、マウスの生物学的、神経学的、遺伝子的な構造という不明瞭なレンズを通して見ている状況になってしまう。自閉症を連想させる症状の幾つかをマウスで再現することは可能だが、ヒトの疾患のモデルとしては、この状況は不十分である。」
「しかし、近年の科学の進歩により、症状を適切な種、つまりヒトにおいて研究することができ、各患者固有のASDのために個別に薬を開発するという期待は現実味を帯びてきている。このようなことができれば、自閉症の研究を次の段階に進めることができ、過去40年間で目の当たりにした医療の進歩の速度をはるかに凌駕する可能性がある。」
Muotri教授は、「歯の妖精プロジェクト(Tooth Fairy Project)」 というカルフォルニア大学における画期的な研究を指揮している。この研究では、自閉症の子どもたちの家族により寄付してもらった乳歯から幹細胞を抽出し、実験室で観察できるように、これらを完全に機能する脳細胞(ニューロン)に再プログラミングしている。これらの脳細胞には、それぞれの子どもたち固有の異常が現れ、各患者に現れる特定の病状のためにあつらえられた治療につながる可能性もある。「歯の妖精プロジェクト」には、現在3,500以上のASDの子どもを持つ家族が参加しており、遺伝子の解読により、自閉症に関連しているヒト遺伝子がすでに新たに5つ特定された。
この研究が進めば、自閉症の最も一般的な形態を理解するためのブレイクスルーとなることをMuotri教授は予見している。様々な種類の自閉症に共通する脳細胞の分子経路や細胞経路を解明し、創薬のための新たな標的を発見するという形でなされる。ASDの遺伝的、環境的な潜在要因が不明であるため、このような進め方が必要であると考える。
Muotri 教授は、脳研究の展望に変化をもたらしている科学や生物工学の最先端の発展について説明している。これらには、マイクロチップ上の3Dのヒトの「ミニ脳」のモデルや、細胞培養によるヒトの超小型神経回路等が含まれる。これらの最新の細胞モデルにが、ヒトの大脳皮質の発達、疾患モデルや創薬に関する機能的研究を促進させる。
ヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナル(Humane Society International, HSI)は毒性学や生命科学におけるヒト生物学を基盤とした研究の発展の促進をリードする団体である。神経学者であり生理学者でもある、HSIの上級科学アドバイザーのジル・ラングリー博士は、次のように述べている。「医学研究全体において研究の成功率を向上させるべきであり、このためには研究のパラダイムを現代化する必要がある。研究の概念的枠組みを根本的に再検討するべきであり、時代遅れで不自然かつ人工的な動物モデルから離れ、ヒトへの影響をより直接的かつ適切に研究できるヒト生物学を基盤とした高度な技術の開発への資金提供を優先させるべきである。21世紀の考え方を応用することにより、化学物質や製品の安全性試験に対する我々のアプローチはすでに変革されつつあり、疾患の研究においてもこれを徹底的に活用することにより、同様に広範囲に及ぶプラスの影響が期待できる。」
概要:
• 自閉症スペクトラム障害は、重篤かつ生涯に及ぶ発達障害である。症状には、コミュニケーションや社会化の困難や、常同行動等が含まれる。
• 動物モデルはよくても、複雑なヒトの疾患のほんの幾つかの側面しか再現できず、ASDにおいては、これは特に問題である。幾つかのノックアウトマウスのモデルでASDのような行動が欠如していることは、遺伝的背景や、免疫機構、神経回路において、ヒトとマウスには種固有の差異があることを反映している。マウスにおいては、遺伝子の突然変異が社会的行動を阻害するが、これらのほとんどがASDに直接関連していないと考えられている。反対に、患者にみられる多くのASDの突然変異はマウスには影響がないものであったり、ヒトの疾患とは異なる症状につながる。
• 近交系マウスに比べると進化上の関係性が近いため、非ヒト霊長類もASDを理解するために用いられている。最近の研究ではマカクザルに(ASDの特定の種類でみられる)突然変異遺伝子を挿入する研究等が行われている。このような新たな動物実験からメカニズムに関する理解は生まれていないが、新たな知見が生まれても、ヒトの脳が遺伝子発現をコントロールする方法には、他の種にみられない固有の要素があるため、意義のある結果となるとは限らない。
問い合わせ:
アメリカ: Raúl Arce-Contreras, rcontreras@humanesociety.org, +1 301-721-6440
欧州連合: Wendy Higgins, whiggins@hsi.org, +44 (0)7989 972 423
Muotriの研究室で行われている研究は、カリフォルニア再生医療研究所、国立衛生研究所、国際レット症候群財団及びヒューメイン・ソサイエティー・インターナショナルからの助成金により実施されている。
Alysson Muotriは、カルフォルニア大学サンディエゴ校の小児科学及び分子・細胞治療の准教授である。Muotri博士は、1995年に生物学の理学士号をカンピーナス州立大学で取得し、2001年に遺伝学の博士号をブラジルのサンパウロ大学で取得している。2002年に、ソーク研究所にラテン・アメリカ特別研究員(Pew Latin America Fellow)として迎えられ、神経科学と幹細胞生物学におけるポストドクトラルのトレーニングを行った。2008年よりカルフォルニア大学サンディエゴ校の教員となった。Muotri 博士の研究室は、人工的に作られた多機能性幹細胞を用いて自閉症スペクトラム障害等の神経疾患のモデルを構築することに取り組んでいる。彼の研究室では、基礎研究や医薬品のスクリーニングのプラットフォームに用いることができる、ヒトのニューロンと神経膠を培養する技術をいくつか開発している。国立衛生研究所(NIH)のDirector’s New Innovative AwardやNARSAD及びEmerald Foundation Young Investigator Award等幾つかの賞も受賞している。